館内は美術館

館内は美術館

元湯石屋の美術品

館内には、これまで元湯石屋がコレクションしてきた美術品を多数展示しております。
美術品の中には、ゆったり流れる元湯石屋の時間を、一秒一秒、正確に刻んできた古い柱時計もあります。そんな時計の前に佇むと、時間が過去へさかのぼっていくような不思議な気持ちになります。ぜひ美術館をめぐるように、館内を散策してみて下さい。

柱時計

昭和初期に日本で製造された柱時計。文字盤のまわりや木製のフレームにつけられた飾り縁の装飾はとても見事で、丁寧に細工が施されています。当時、時計は時を知るための道具でなく、ある種のステイタスシンボルだったのかもしれません。大広間前の柱にかけてございます。

食堂展示品

朝食をお出ししている食堂では、7代主人がコレクションした花器を中心に、日本各地の年代物の焼き物を一堂にご覧いただけます。

越田香秋「秋園双鶏図」

明治から大正にかけて活躍した金沢ゆかりの日本画家・越田香秋の掛け軸。秋を彩る花や草木が、葉の葉脈まで分かるほど繊細に描かれ、力強く前を見据える雄鶏が印象的です。

前田土佐守家紋

加賀藩の家老であった前田土佐守が深谷の湯につかり持病を快癒したことから拝領した木彫りの前田土佐守家紋。金沢城より2里以内に湯宿の建設が認められていなかった当時、特別に湯宿の建設を認めることのお墨つきの意味合いがありました。金箔で仕上げられた梅鉢紋は、今も落ち着いたかがやきを放っています。

伊万里大丼

加賀藩の執政をつとめた加賀八家のうちの一つ横山家伝来の伊万里焼の大丼。当時、大勢に料理を振る舞う時などに使われていた大鉢です。菊の文様などが金彩をまじえて描かれた金襴手様式のもので、白地をあまり残さず細部まで色絵が施された豪華絢爛なものです。

翁面

「翁は能にして能にあらず」とまで謂われ、数ある面のなかでもとくに神聖視されている翁の面は、平安時代末期に創作され鎌倉時代には完成していたと伝えられています。

阿弥陀如来像

鎌倉時代につくられたとされる寄木造りの阿弥陀如来像。戦後まもない頃、7代目主人が金沢の道具商でバラバラの状態で置かれていたこの像を購入し、ひと夏かけて組み立て、瓔珞(ようらく)を修理して安置いたしました。

時代屏風

加賀藩お抱えの絵師によるものと伝えられている江戸末期の頃の六曲一双の屏風絵。平安の頃の貴族の屋敷内の様子が優雅に描かれています。

グランドファーザー時計(お祈り時計)

明治の頃にフランスより輸入された高さ2メートルほどある大きな置き時計。時を告げる鐘が鳴ってから1分後に再び時間の数だけ鐘が鳴る仕掛けとなっており、その1分間のあいだに神さまにお祈りを捧げるという敬虔なキリスト教徒の習わしを偲ぶことができます。玄関ホールに置いてございます。

溶姫化粧道具

徳川11代将軍家斉の息女・溶姫が、加賀藩12代藩主前田斉泰と結婚した際に徳川家よりお持ちになった化粧道具。黒塗りの漆に蒔絵で葵の紋がこまかに施されており、徳川の栄華をしのぶことができます。またこの溶姫のために建てられた加賀屋敷の門は、現在東京大学の赤門となっています。

万年時計

1867年にアメリカのイングラハム社によって製造された柱時計。上下に分かれた二つの文字盤で、時間、曜日、月日にち、西暦の年号までが分かる仕掛けとなっており、そのユニークな形からダルマ時計、四つ丸時計と呼ばれることもあります。食堂ホールにかけてございます。

船簞笥

能登の有力農民であり、北前船主でもあった桜井家の持ち舟の舟簞笥。舟簞笥は、船が沈没したときに金銭や文書などを入れて海へ流すもので、岩などにぶつかっても壊れないよう、まわりには鉄金具が嵌め込まれており、頑丈につくられています。

珠洲焼

珠洲焼は、平安時代半ばから室町時代にかけて珠洲で焼かれていた須恵器の系統を継ぐ、灰色がかった無釉の焼き物で、その幽玄なる美しさは、日本六古窯のものに匹敵するといわれております。石屋に所蔵しているものは1400年頃までに焼かれたと云われる坪です。

欄間

光の陰翳によってこまかに彫りだされたカタチがうつくしく照らしだされる欄間。「孔雀の間」では江戸期の職人による蘭、竹、菊、梅のいわゆる「四君子」をモチーフとした欄間を、「鶏の間」では明治期の職人が鶏、鶉、鷺の様子をいきいきと彫った欄間をご覧いただけます。

古墳時代出土品

7代主人が収集した金沢近郊で出土した銅鉾、勾玉など古墳時代のものを展示しております。